コジコジのモラトリアム日誌

私はいつだって迷ってばかりだけど、遠回りしたからこそ見えた景色がありました。このブログはそんな私の成長記録です。

Google Adsence 4年以上放置しても無事にピンが届いた 無料はてなブログでも審査通過!

こんにちは!コジコジです!

この記事は、Google Adsenceの審査に合格するための具体的な操作方法などは書いていません。

めんどくさがりで飽きっぽいコジコジがブログの更新をやめ、Google から送られてきたpinを入力せず4年以上放置。その後、無事広告が再配信されるまでのドタバタ劇場です。

特に有益な記事ではありませんが、そんなまぬけぶりをおもしろおかしく読みたい方はご覧ください。

 

 

このブログを開設するまでの経緯

私は大学生の頃、卒業後の進路について悩みに悩み、「よし、就活をやめて、田舎でフリーアルバイターになろう!」と決意し、このブログを開設しました。

詳しくはこちらから

gap-year.hatenablog.com

 

その後、色々と考えるところがあって、結局そのような選択はせず、大学卒業後は出版社に就職し、3年4カ月勤めました。その後、「田舎暮らしをしたい」という気持ちを抑えきれなくなって退職し、いなかパイプが主催する「いなかインターンシップ」を経て、高知県四万十町に移住しました。

Google Adsenceでブログの収益化を狙う

ブログを始めた頃は、書くのが楽しくて、せっかくなら収益化もしようと思い、その手段としてGoogle Adsenceを選びました。

 

しかし、当時は「独自ドメインでないと審査をしてもらえない」という情報しか出回っておらず、お名前.comでドメインをとり、独自ドメインの使えるseesaaブログでブログを書き、Google Adsenceに審査の申請をだしました。

 

seesaaブログでは、自分の世間に対する意見のような記事を5本ほど書き、Google Adsenceに審査の申請をしたら1発で合格しました。(今は審査が厳しくなっているようですから、そのような条件では合格しないかもしれません。)

 

その後副サイトとして、はてなブログを登録し、気が向いたときにはてなブログの方で記事を更新していました。

 

広告の配信停止

はてなブログで1000円ちょっと収益がでて、家にGoogle Adsenceからの郵便物が届いたのですが、その頃の私はすっかりブログを書かなくなっていて、「何か届いたなー」と思いながら放置してしまいました。

すると、いつの間にか広告の配信が停止されていました。

 

このときも私は「しばらく更新していなかったせいかなー?」と気にも留めませんでした。

さらに、「なんて私は恥ずかしいブログを書いているのだー」と思い、seesaaブログを消してしまいました。

広告が配信停止になった理由 pinの期限切れ

そんな私は、四万十町に移住し、「文章を書くことが好きである」ことを再認識し、再びブログを書き始めました。

 

そして、せっかくなら収益化したいと思い、もう1度広告を配信してもらう方法を考えました。

すると、「無料版はてなブログでもGoogle Adsenceの審査に通過できる」というような記事がいくつかでてきたので、今度ははてなブログで審査の申請をしました。

 

それからすぐに不合格通知が来て、調べる中でプライバシーポリシーの設置が必要であることを初めて知り、設置してもう1度申請しました。その後2回くらい申請しても不合格でした。

そこでもう1度Google Adsenceのことを調べ、pinが発行されてから4カ月以内にpinを入力しないと広告配信が停止されてしまうことをようやく知りました(笑)

pinの発行から4年以上過ぎてもpinの再発行はできる

私は以前の家から引っ越してしまって、pinもどこかに行ってしまったので、新しい住所を入力し、pinの再発行を依頼しました。

 

それから9日後に急に「おめでとう お客様のサイトでAdsence広告を表示して収益化を始める準備ができました。」というメールがきました。

pinは入力してないので、もちろんこのままでは広告を配信されません。

 

ブログでお小遣い稼ぎたいモードになっていた私は、毎日毎日郵便受けを確認し、ようやく受け取ることができました。

ピンの再発行を依頼してから18日後のことです。

pinの再発行を依頼したときに来たメールには「PIN が郵送で届くまでには、通常 3 週間程度かかります。」と書いてあったので、予定通りです。

 

ここでまた問題発生!pinを入力し、記事上、記事下、サイドバーに広告を設置したものの、広告が配信されず、ただの空白になっていました。

せっかちな私は「広告配信までにしばらく時間がかかることがある」と書いてある記事を読んでも「なんでだろー?」「なんでだろー?」と考えてました。

とりあえず1度考えるのをやめて友達と電話をしていたら広告が配信され始めました。広告を貼り付けてから30分ほど経ってからのことだったと思います。

 

以上、コジコジのGoogle Adsence設置のドタバタ劇場でした!

仕事で好きなことをすることで、プライベートでもより良い時間を過ごせるようになる

こんにちは!コジコジです!

私達には日々、やらなければならないことがたくさんあって、いつの間にか膨大な時間を本意ではないところで消費しています。

私は今でこそ、仕事でもやりたいことばかりしていますが、四万十町に来るまではそうではありませんでした。

 

「窮屈だな」と思いながら満員電車に乗り、「つまらないな」と思いながら仕事をし、「この待ち時間嫌だなー」と思いながら会社帰りにスーパーの列に並んでいました。

 

反対に今は、「四万十川きれいだなー」と思いながら通勤し、「楽しいなー」と思いながら仕事をし、「おいしそうだなー」と思いながら道の駅で野菜を買っています

 

もちろん以前にも書いたように生活に不満がでてくることもありますし、仕事に対してやる気がでないときもあります。

でも働き方を自分でコントロールできるので、仕事をしたくないときは仕事の時間を短くすればいいのです。

 

最近は、宿舎が寒すぎて耐えられなくなり、温泉宿に2泊して仕事をしていました。

すると、リラックスして仕事ができ、仕事がますます好きになりました。

もし寒いのをずっと我慢していたら、またやる気がなくなってなかなか回復できなかったと思います。

 

仕事でやりたいことができている状態だと、気持ちに余裕があるので、プライベートでも無駄な時間を過ごさなくなります。

 

以前は、仕事から帰ってくると「嫌な気持ちを塗りつぶしたい」と思いながらドラマや映画を何本も見ていました。反対に今は、「こんなことやったら楽しそう」「こんなことができるようになりたい」と前向きに考え、未来のために時間を使うようになりました。仕事でもプライベートでも楽しいことをやっていると、相乗効果で、どちらでもより良い時間が過ごせるようになるのだと感じました。

 

だから私はこれからも仕事でもプライベートでも自分が好きなことをしていきたいと思います。

幸せのポイントは自分にも他人にもウソをつかずに生活できる環境を作ること

こんにちは!コジコジです!

今週のお題は「試験の思い出」ということで、大学入試の時のことを書きます。

 

私は高校生の頃、部活動や家庭での悩みなどから体調を崩していました。

過呼吸になったり、心臓がバクバクして死んでしまうのではないかと思うこともあったりして、とても勉強どころではありませんでした。

 

それでもできる範囲で勉強し、4校受けたうちの第4希望の大学のみに合格し、そこに行きました。

これは私にとって決して満足できるものではなく、大学に入学してからもずっと残念な気持ちを引きずっていました。

 

でも最近になってようやくそんなことはどうでもいいことだと思えるようになりました。

 

なぜなら私は今、楽しいと思える毎日を過ごしているからです。

 

大学入試に失敗し、新卒で入った就職先もやめ、家を引き払って、高知まで来て、やっと「私は私らしく生きていけばいいのだ」と思えるようになりました。

 

それは私が今所属している会社がコミュニケーションを大事にしているからです。

「やりたいことはやりたい」と言っていいし、「やりたくないことはやりたくない」と言っていい。

自分の気持ちを押し殺すのではなく、ポジティブな自分もネガティブな自分も見せていい。

そんな文化があるから私は生きやすくなったのだと思います。

 

「いい大学に入って、給料の高い職業についたら幸せになれる」

そう思っている人が多いようですが、私は「自分が自分にも他人にもウソをつかずに生活できる環境を作ることで幸せになれる」のではないかと思います。

決められた時間で働くのをやめたら、自分の未来に向けて行動するようになった

 

こんにちは!コジコジです!

最近のブログでは、よく「仕事のやる気がでない」と書いていますが、これはそれ以外にやりたいことがあるからなんじゃないかと思えてきました。

 

私が四万十町に来る前は、平日は9時から18時まで仕事をして、土日祝日は休むというように決まったスケジュールの中で働いてきました。

一方で、現在はフレックスタイム制なので、何時に出社し、何時に退社するのか、何曜日に出社し、何曜日に休むのかが自由になっています。

ですから、「今日は仕事したくないな」と思う日は出社していません。(後で労働時間が足りなくなりそうで冷や冷やしていますが)

 

そうすると、空いた時間で、やりたいことをやるようになるのです。

「ブログを書こう」「本を読もう」

 

東京で決まったスケジュールの中で働いていたときはそうはいきませんでした。

イヤイヤ働いて、家に帰ると、ドラマを見てその日の嫌な出来事を塗りつぶす。

日曜日も「明日仕事に行きたくない」と思いを塗りつぶすためにドラマや映画を見る。

 

そんな感じで私の自由であるはずの時間は「仕事を嫌だという気持ちを必死に塗りつぶす時間」になっていました。

 

でも今は、自分で働く時間を選べるようになったことで、以前より心に余裕がでてきました。

そうすると、「自分は今後どういう働き方がしたいのだろう?」「そのためには今何をすればいいのだろう?」と、しっかり自分と向き合えるようになりました。

 

そうやって自分と向き合った結果、「私はやはり旅をしながら文章を書いて生活していきたい」と思い直しました。

そのためにどうすればいいか具体的な方法を調べ、勉強もするようになりました。

 

これまで自分のだめな部分ばかりに目を向けて「どうせ自分なんて」と思っていた状態から、自分の才能を生かして生きていくにはどうすればいいかと考えるようになりました。

そのきっかけはこの本を読んだからです。

 

本文の中の一部を抜粋します。

才能を伸ばすことにエネルギーの多くを注ぐことができれば、私達は飛躍的な成長を遂げることができる。

 

現在の社会では、「強み」よりも「欠点」を伸ばすことを重視していますが、才能を伸ばすことの方が大事だと書かれています。

 

「この本に関してはまた別の記事で詳しく紹介するとして、話を戻します。

 

つまり私は、自分で働く時間を選べるようになったことで、心に余裕ができ、自分が成し遂げたい未来のために行動するようになったのです。

仕事のやる気がでないのは、自由すぎるからという可能性もありますが、どれによって自分らしい日々を過ごせるようになりました。

だからもう少し、仕事へのやる気もだしつつ、自分の時間も大事にしていきたいと思います。

結局どこにいても「べき論」には出会う 大事なのは自分も相手も傷つけないこと

こんにちは!コジコジです!

各コミュニティーに存在する「べき論」ってあると思います。

例えば、バリバリ働いている人のコミュニティだったら、「常に成長し続けて年収を上げ続けるべき」。

都会にいるおしゃれ好きの女子のコミュニティだったら「ダイエットして、かわいく着飾るべき」。

 

そんな感じで、自分がいるコミュニティの中で「こうしないと、ああしないと」と焦ってしまう人は多いと思います。

 

そういう「べき論」から解放されようと、生き方を変えても、またそこで新たな「べき論」に出会います。

 

例えば私の場合は、以前、「就職したらその会社で長く働くべき」「嫌なことでも仕事だからやるべき」と思っていました。

ずっとその言葉に縛られて会社にしがみついていましたが、それにも疲れてしまい、もっと自由に、好きなことを仕事にして生きていきたかった私は、前職をやめ、四万十町に移住しました。

 

その結果、自由に好きなことをして生きているたくさんの人に出会いました。

しかし、ここでまた別の「べき論」を聞かされるようになりました。

1年後に自分が何をしているかを決めていないことを言うと、「それはだめだろ」と言われたり、子どもを産んだ人の話になったら「お前らも頑張れよ」と言われたり…。

 

これを聞いて、このコミュニティでは、「将来をきちんと計画して生活し、子どもを産むべきだと考えられているんだな」と感じました。

 

私は「べき論」を押し付けてくる人を批判したいわけではなく、「どこで生活していても『べき論』は存在する」ということを書きたいのです。

大事なのは、その「べき論」と出会ってしまったときに、自分を卑下したり、相手に対して攻撃的にならないようにするのが大事だと思っています。

 

私は相手に対して攻撃的になるようなことはありませんが、つい自分を卑下してしまいます。

「~すべき」の枠の中に収まることのできない自分はだめな人間なのだと。

 

でもそんなことをする必要は一切なくて、「あー、その人はそういう考え方を持っているのだなー」と、ただ事実として受け取ればいいのです。

そうすれば自分も傷つかないし、相手も傷つけません。

 

もし議論したいのであれば、「私はこう思っているんですよー」と淡々と伝えればいいのです。

それで相手が「そうなんだねー」と理解してくれれば、少し心理的な距離が近づくと思います。

もし、相手が強く反発してくるならば、「この人には伝わらないんだなー」と引き下がればいいと思うのです。

 

そんな感じで、私は冷静に「べき論」と付き合っていきたいと思います。

私は今、働きたくないんだ

こんにちは!コジコジです!

私は昨年、仕事をやめ、ずっと憧れていた田舎暮らしを始めました。

現在は高知県四万十町の山奥に住んでいます。

 

仕事は、地域の農作業をしたり、求人記事を書いたり、日々の体験を会社のサイトで書いたりと複数の仕事を組み合わせながら、1つの会社で契約社員として働いています。

 

半農半Xという言葉が流行りましたが、私は田舎で「農業×ライティング」という働き方をすることにずっと憧れていました。

それは、フリーランスとして働くイメージでしたが、今は雇われながらそれが実現しています。

 

それなのに、ここ最近全くやる気がでません。

働き方はフレックスタイム制なので、労働時間を3カ月で調整すればいいのですが、このままでは労働時間が足りなくなってしまいます。

 

全てのことに対してやる気ないかというと、そうではなくて、「ブログを書きたい」とか「旅に出たい」とか「食べたい」とかそういう欲求はむしろ強いのです。

 

やる気がでないのは、仕事と家事くらいです。

 

もし、しばらく仕事から離れて、温泉旅館にでも泊まって、のんびりしながらブログを書きたいだけ書いていたら、とっても元気になるのだろうなということはわかっています。

 

でもなー。

 

 

 

満たされない気持ちが私を遠くに連れて行ってくれる

こんにちは!コジコジです!

 

本業がとても楽しくてのめりこむこともあれば、それ以外で自分のやりたいことを見つけようと足掻いていることもあります。

一見、前者の方が幸せで、後者は辛そうに感じますが、後者にこそ自分の生き方を広げるチャンスが眠っているのではないかと思います。

 

「私のやりたいことはこれ以外にあるはず」「私が住みたい場所はここ以外にあるはず」そう思って行動することによって、新たな可能性が広がっていきそうです。

 

「あーしたい。こーしたい」と言うと、「もうすでに自分が満たされていることに気づくべきだ」と言われることもありますが、今の私にとってまだその段階ではないんです。もっともっと自分のやりたいことを追及して、もっと様々な地域に行ってみたいのです。

「これでいい」と思うのはそういうことを全てやってからです。

 

今の仕事も十分自由で、やりたいことをやらせてもらっていることは自覚しています。でも、本当は、もっと様々な地域を訪問して、その土地ならではの暮らしの体験をし、それを文章にして生きていきたいのです。

 

べつに文章を書くことで生計を立てられなくてもいいんです。

その地域の農作業などをしてお金を稼ぎ、その体験を文章にして、また次の地域に行く…。

そんな感じでいいのです。

 

前職をやめ、楽しい仕事と居心地のいい地域を見つけて移住したけれども、欲はつきません。

 

今の仕事は1年契約にしているので、その後そういう生活ができればいいなと思っていいます。

しかし、コロナのことを考えると、それがいつできるようになるのかわかりません。

 

なかなか思うようにはいきませんが、「もっとこうしたい」「ああしたい」と思い続けるからこそ、新しい世界を見ることができると思うのです。

だから今は、そのときが来たときにすぐに動けるように準備しておきます。