コジコジのモラトリアム日誌

私はいつだって迷ってばかりだけど、遠回りしたからこそ見えた景色がありました。このブログはそんな私の成長記録です。

結局どこにいても「べき論」には出会う 大事なのは自分も相手も傷つけないこと

こんにちは!コジコジです!

各コミュニティーに存在する「べき論」ってあると思います。

例えば、バリバリ働いている人のコミュニティだったら、「常に成長し続けて年収を上げ続けるべき」。

都会にいるおしゃれ好きの女子のコミュニティだったら「ダイエットして、かわいく着飾るべき」。

 

そんな感じで、自分がいるコミュニティの中で「こうしないと、ああしないと」と焦ってしまう人は多いと思います。

 

そういう「べき論」から解放されようと、生き方を変えても、またそこで新たな「べき論」に出会います。

 

例えば私の場合は、以前、「就職したらその会社で長く働くべき」「嫌なことでも仕事だからやるべき」と思っていました。

ずっとその言葉に縛られて会社にしがみついていましたが、それにも疲れてしまい、もっと自由に、好きなことを仕事にして生きていきたかった私は、前職をやめ、四万十町に移住しました。

 

その結果、自由に好きなことをして生きているたくさんの人に出会いました。

しかし、ここでまた別の「べき論」を聞かされるようになりました。

1年後に自分が何をしているかを決めていないことを言うと、「それはだめだろ」と言われたり、子どもを産んだ人の話になったら「お前らも頑張れよ」と言われたり…。

 

これを聞いて、このコミュニティでは、「将来をきちんと計画して生活し、子どもを産むべきだと考えられているんだな」と感じました。

 

私は「べき論」を押し付けてくる人を批判したいわけではなく、「どこで生活していても『べき論』は存在する」ということを書きたいのです。

大事なのは、その「べき論」と出会ってしまったときに、自分を卑下したり、相手に対して攻撃的にならないようにするのが大事だと思っています。

 

私は相手に対して攻撃的になるようなことはありませんが、つい自分を卑下してしまいます。

「~すべき」の枠の中に収まることのできない自分はだめな人間なのだと。

 

でもそんなことをする必要は一切なくて、「あー、その人はそういう考え方を持っているのだなー」と、ただ事実として受け取ればいいのです。

そうすれば自分も傷つかないし、相手も傷つけません。

 

もし議論したいのであれば、「私はこう思っているんですよー」と淡々と伝えればいいのです。

それで相手が「そうなんだねー」と理解してくれれば、少し心理的な距離が近づくと思います。

もし、相手が強く反発してくるならば、「この人には伝わらないんだなー」と引き下がればいいと思うのです。

 

そんな感じで、私は冷静に「べき論」と付き合っていきたいと思います。