Twitter始めました。
こんばんは。最近ネットにはまっているコジコジです!
ブログを始めて、収入が欲しくなって広告を張って、ブログを拡散したくてTwitterを始めました。
しかし、Twitterの使い方がよくわかりません(笑)
フォローボタンを押して、ツイートして、コメントするくらいまではわかります。
でも細かい機能がまだよくわかりません。
23歳、Twitter大好き世代のはずですが、数年前に始めてすぐにやめてしまいました。
理由は、おもしろくなかったのと余計な時間をとられてしまうから。
「~なう」とかつぶやいていたら日々忙しくなりそうだし、友達の投稿ばかり見てしまって時間をとられたり、人の感情に影響されるのが嫌でした。
人の感情に影響されるというのは、友達が「授業だるい。行きたくない」とかつぶやいていたら自分も行きたくなくなりそうだし、気軽に投稿できるからこそみんなの色々な感情が渦巻いている感じが嫌でした。
しかし、情報の拡散という面から見るとTwitterはとても魅力的な手段だと思ったので利用してみることにしました。
私のアカウント
フォロワーまだ7人なので良かったらフォローしてください。
知らない人をフォローしていいものなのか、危険な人にフォローされてしまったらどうしようかなどと不安に思いながら使い始めました。
とりあえず大学生ブロガーを中心にフォローしてみることにします。
私は元々ネットに個人情報を上げることには警戒心があったのですが、最近はそんなことより「発信したい」「挑戦したい」という気持ちの方が勝ってきました。
ブログを書き始めてそろそろ二カ月になりますが、文章を書くことで、自分の思考が整理され、自分のやるべきことが明確になり、モチベーションが上がることを強く感じています。
ブログを始める前は、自分の考えを整理したり、意見を主張したりすることが苦手でしたが、キーボードを打つ手がカタカタ動き、頭の中がどんどんクリアになっていくのがたまらなく心地よくて、すっかりブログにはまってしまいました。
また、ブログを始めて、「感動した」とか「勇気もらえた」「更新楽しみにしてる」などと言ってもらえることで、自分自身のことを今までよりも認めることができるようになりました。
しかし、ブログを褒めてもらうことをモチベーションにしていたら、続けることは無理だと思うし、承認欲求は自分を苦しめるだけなので、ブログは自分と向き合うためのものだということを決して忘れないようにしたいです。
誰にも言っていなかったけれど、実はこれも私が書いているブログです。
承認欲求が強いと不幸になるという意見
今日から一週間新潟に行ってきます!
こんにちは。こじこじです!
目的は、大学卒業後の暮らしの視察!
地域のwebメディアの取材同行をしたり、集落のおばあちゃん達とお茶を飲んだり、農家さんのお手伝いをしたりする予定です。
田舎求人めぐり旅という地域の企業を訪れるツアーにも参加します!
まだ詳しくは決まっていないので、生活をしながらブログで書いていきたいと思います。
今日は新潟での一週間を有意義な時間にするために目標を立てたいと思います。
今回の目標
きれいな写真をたくさん撮る
私はいつも写真を適当に撮ってしまいます。
だからいざ写真を使おうと思った時に、使える写真がないことが多々あります。
例えば、最近は休活blogという休学経験者の共同ブログやふたりごと文庫という色々な人が地域の魅力を伝えるwebメディアで記事を書いたのですが、「もっと良い写真があったら良かったのに」と何度も思いました。
休学中は、自分の経験を記事にすることになるなんて全く想像していなかったのですが、もう少し目の前の景色を今後のために残そうという思いがあっても良かったと強く後悔しています。
観光するときも、一人旅の時には早く次の場所に行きたいという思いが強く、誰かと一緒にいる時は話したいという思いの方が勝ってしまっていて、丁寧に写真を撮るということをしてきませんでした。
だから今回は、写真を撮る瞬間に、自分はその写真をどんなふうに使って、誰に見せたいのかを意識しながら撮ってみたいと思います。
何枚も何枚も適当に撮るのではなく、集中して、一枚一枚を丁寧に撮ります。
自分ができることを考える
今回は、何かのプログラムに参加するというわけではなく、新潟イナカレッジさんのご厚意で、個人的に仕事や村での暮らしを体験させてもらいます。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
細かいスケジュールがあるわけではないので、自分が何をしたいのか、何を知りたいのかを明確にしなければなんとなく時間が過ぎてしまいます。
また、せっかくこういう機会を用意して頂いたので、ただ自分が見たいものを見て、やりたいことをやるというだけではなく、何か一つでも二つでも地域に還元できることをしたいと思います。
一週間で何ができるかは考え中ですが、空いている時間にお年寄りのお手伝いをしてみるとか、地域に残る何かを作ってみるとか私にできることをやってみたいと思います。
感謝の気持ちを伝える
今回私のために一週間の過ごし方を考えてくださったり、時間をとってくださったり、泊めてくださったりとたくさんの方に協力して頂いています。
本当にありがたく、この機会を有意義に使いたいと思っています。
そしてなんとなく感謝するのではなく、出会った人みんなにきちんと感謝の気持ちを伝えて、滞在中の一週間が無理でも、卒業後にきちんと恩返しをします。
滞在中の経験をブログに書く
せっかく行ってもその経験を忘れてしまったら意味がありません。
自分が経験したことを、きちんと文字にして誰かに伝えることは、今私が最もやりたいことなので、滞在中または新潟から帰ってきたらすぐにブログに書きます。
視察終了後、卒業までの計画を立てられるようにする
新潟に行ってみたら、集落で生活する大変さがわかったり、今のうちに身につけておくべきこともわかると思います。
私は今、卒業後に田舎で仕事を組み合わせて生活をしながらネットでも稼げないかと考えているので、他のブログを作ってグーグルアドセンスに申請してみたり、amazonでアフィリエイトをしたりしています。(文章を書くことで精いっぱいでamazonのアフィリエイトはほとんどやっていませんが)
今後は、クラウドワークスなどでライティングの仕事もやっていきたいです。
新潟に行ってみたら他にもできると良いことが見えてくるかもしれません。
だから卒業後の自分に何が必要かをよく想像しながらこの一週間生活をしていきたいと思います。
まとめ
今回、新潟で一週間を過ごすにあたって目標を書きましたが、今まではこんなふうに公開することは、ありませんでした。
今までは、目標さえ立ててなかった気がします。
こういう意識の変化もブログを始めてから変わったことだと思います。
ブログによってアウトプットを始めたことで、インプットの質も上がってきました。
自分の興味のある記事を見つけると、それについての意見をブログに書きたいと思うし(実際にはまだ書けていない)、ブログを書いている時に知りたいと思ったことやできるようになりたいと思ったことは実際に行動に移してみることにしています。
ブログを書いて自分の頭の中を整理したり、人に公開したりすることが新たな行動を起こすきっかけとなっているようです。
これからもインプットとアウトプットを繰り返し、自分の行動を振り返りながら人生をより良いものにしていきたいと思います。
プロフェッショナルになりたいわけじゃない。だから私はこれでいい。
こんにちは。コジコジです!
私は移り気な性格で、あれをやったりこれをやったり。
なかなか一つのことを極めることができません。
よく言えば好奇心旺盛。悪く言えば飽き性。
そんな私を心配して「ある程度一つのことを極めた方が良い」と周りの人に言われ、私もそれに同意していたのですが、なんか違うんですよね。
まだ縮小すべきではない。
まだまだ私の興味の幅は広げていかなければならない。
そんな気がしています。
縮小してから拡大するのってなかなか難しいと思うんです。
例えば、私が農業とプログラミングとライティングに興味があったとします。
もし一つに集中しなさいと言われて、プログラミングを極めるためにプログラマーとして企業に就職したとします。
でも「やはりおもしろくないな」と思ってしまった場合、次のことをゼロからやらなければなりません。
反対に、週4くらいで農業をして、ライターもやって、プログラミングも学んでたら後で本当に力を注ぎたいことを絞りやすいじゃないですか。
「これ向いてるなー。これ向いてないなー」と。
さらに言ってしまえば、絞らなくてもいいのではないかと思います。
だって私は専門家になりたいわけじゃないから。
何でも屋でいいと思うんです。
確かに一つのことを集中してやっている人にはかなわないかもしれません。
でも私はそれでいいんです。
凡人でいいんです。
誰かに勝ちたいなんて思ってません。
ただ自分らしく生きていきたいだけ。
自分のやりたいことを追求したいだけ。
だから興味のあることを思いっきりやる。
その中で、これは極めたいと思ったらそれに集中してみるのもいい。
どれも同じくらいの力でやるのもいい。
普通でいいんです。
ただ欲を言うならば、「A×B×Cができるのはあの人だ」と言われて頼ってもらえること。
ただ意見を聞かれるとか、ちょっとお手伝いをするとか小さいことでいいから、いろんな引き出しがあることで、誰かの力になれたらいいなと思います。
私は、まだ物事に対しての興味の深さも広さもないので、拡大、縮小を繰り返しながら引き出しを増やしていきたいと思います。
選ぶのか選ばれるのか
こんにちは。コジコジです!
選ぶのと選ばれるのってどちらがいいのでしょうか?
私は、「私の人生は私が選ぶ!」と強く思い、就活中も「この会社はここが違う」「こっちよりこっちの会社がいい」などと選り好みしていました。
スカウト型の就活サイトに登録してオファーを頂いても、あまり嬉しい気持ちになれず、「自分なんかにオファーをするってことは人が足りていないんだろうな」とよくわからないネガティブな心理に陥ってしまい、オファーを快くお受けすることができませんでした。
せっかく私のこれまでの経験を評価して、会いたいと言ってくださっているのに、選びたい気持ちが強すぎて、選ばれるということを拒否していたんですよね。
友人と就活について話していて思うのは、みんな納得した上でなんとなく進路が決まっていくことです。
なんとなくというのは悪い意味ではなく、「自分がはまる場所が下を見たらあった」というような偶然の出会いです。
「どの会社にしよ~、どうしよう~~、あ~~~~」と自分が選ぼうとするあまり頭の中がぐちゃぐちゃになってしまうのではなく、「たまたま学校の合同説明会で、疲れて休んでいた部屋で出会った会社が、自分が納得できる会社だったから入社した」というように偶然の出会いを素直に受け止めているのです。
私は最近、人生ってそういうものなのかなと思います。
生きている中で、ふとしたきっかけがあって新しいことを始めたり、偶然自分と相性がぴったり合う人と出会ったり。
そんなふうに就職して、結婚して自然に流れていく。
目の前の現実に抗って抗って流れを変えるのではなく、流れはある日突然変わるものなのかもしれません。
例えばいつもは見ない雑誌にふと目を通したときに、ツアーの募集を見つけて参加してみたら、そこでの出会いが自分の価値観を変えるきっかけとなって、仕事をやめたとか。
それは大きな決断だけれど決して現実に抗って、変えたい、変えたいと思って変わった流れではありません。
そこに落ちていた偶然を拾っただけ。
私の知り合いで、北海道の農家に滞在している間に行ったイベントでたまたま出会った人と結婚した人がいます。
そんなふうに本当に偶然しっくりくる人と出会うことがあるんだなーっと。
なんだかとてもシンプルですよね。
つまり何が言いたいかというと、人生って偶然を拾って作っていくものなのかなと思います。
もちろん、必然もあふれています。
努力して努力して努力してつかみ取った栄光とか、綿密に計画をして出会うべくして出会ったものとか。
アスリートや芸能人は、自分が成功する姿を強く想像すると言います。
毎日毎日自分が成功する姿を思い浮かべ、そのためにすべき行動をする。
そうやって自分の未来を自分で作ることは素晴らしいし、私もそうやって自分の思い描く未来をつかみ取りたいと思います。
しかし、ある程度流れに身を任せて生きることも必要なのではないかと最近思います。
理由はいつも必然を起こそうとしていると、消耗するからです。
私はこうなりたい!そのために必要なのはこれ?あれこっち?どうしよう。あっちかもと右往左往しているくらいならとりあえず始めてしまい、偶然を拾いながら自分の進みたい道に導かれることに賭けてみてもいいかもしれません。
私の話をすると、「私はどこでも生きていける人間になりたい。どこでも働けるスキルを身につけたい。食べ物を自給したい」と思って生活をしています
どこでも働けるスキルというとプログラマーやライターになるという選択肢があります。
食べ物を自給したいならまずは農家で働くのがいいかもしれません。
しかし、どっちにしようかと迷ってしまうのです。
さらに、お金、休み、安定、将来性、働く場所、名誉などの迷いの種が次から次へと湧き出てくるのです。
食べ物を作るということは生きるための基本だからまずは農家で働こうかと考えると、「給与か安い、休みが少ないから大好きな旅行ができない」と考えてしまいます。
そうすると農業は趣味にして他のことを仕事にしようと考えた時にでてくるのが、後に独立できそうな仕事を選ぶこと。
プログラミング未経験でもSEとして雇ってくれる場所があるからそこにするか。
いや、でも一日中パソコンやっているなんて嫌だな←偏見
ライターになりたいならまずは編集者として働く?
いやその業界ってブラックなイメージ←偏見
新卒だしとりあえず名の知れたところに就職するのもかっこいいかもという全然関係のない考えが頭をよぎったり、なんだかんだ東京が情報やイベントが集まるからいいかなーと思ったり。
自分の計画、自分の中にある欲、そんなものが掛け合わさって結局何が自分にとって最善の選択なのかわからなくなってしまい、本当の幸せってなんだろう?と人生の迷子になってしまうのです。
そうやって迷っている間に何かを始めていれば掴んでいたかもしれないチャンスを逃しています。
それだったらまず目の前のことを始めるべきです。
私はまだ何も始めてない。だから何も知らない。
それだったら私を求めてくれる会社に入って見るのもよし、自分の選択肢にある企業リストから鉛筆コロコロして選ぶのもよし。
つまり始めることが肝心なのです。
どれを選んだって良いと思えることはあるだろうし、後悔することだってあると思います。
とりあえず選ばなかった選択肢のことは忘れて目の前のことに没頭してみる。
そうするといつの間にか自分が本当に進みたい方向に導かれていることもあるでしょう。
逆に自分が思う方向と真逆に進んでしまうこともあるでしょう。
そしたらその時は、必然を起こすための行動をするか、とりあえず今、目の前にあることを精一杯やりながら偶然が落ちてくるのを待てばいいでしょう。
人生は選択の連続です。
その度に全力で最善の選択をしようとしていたら疲れてしまいます。
できる人はすればいいです。
でもそれで消耗して目の前のことに集中できない人は、とりあえず目の前の偶然を拾って、あまり深く考えずに進んでみるといいでしょう。
そうすると偶然に導かれていつの間にか進みたい方向に行けるのかもしれません。
脳内に余白を作ること
おはようございます!
今日も一日頑張りましょう!
最近以前よりずっと作業がはかどるようになりました!
理由は心に余裕があるから!
心にゆとりがあると色々なことが頭に入りやすくなります。
人との会話、大学の授業、読書。
以前の私はどうだったかと言うと、常に悩み事でいっぱい!
新たなものを脳内に入れる余裕なんてまるでなかったのです。
数時間前に話した人の顔すら忘れてしまうほどでした(笑)
しかし、今では、人から聞いた話とか読んだ本の内容などを自分の中に上手に吸収できるようになりました。
大学生は忙しさ自慢をするところがあって、「今日2時間しか寝てない」とか「あれもこれもあって終わらないー」などと嘆いている人をよく見かけますが、少しやることをセーブすることによって、もっと効率的にタスクを終わらせることができるのではないかと思います。
私はかつて、色々なことに手を出しすぎて失敗しました。
バイトもあり、学内外の学生団体もあり、授業の課題もあり、別のプロジェクトにも参加していました。あ、教習所にも行っていましたね。
やらなければならないことを夜遅くまでやり、授業中は眠くて集中できない、授業後に課題をやろうと思っても眠すぎてはかどらない。
そんな悪循環にはまってしまいました。
そこで、私がしてしまったことは、やることを減らすことではなく、自分を責めることでした。「あの人はあれもこれもできているのに、私はなんてキャパが小さいのだ」「自分はダメなやつだ」
「いやいやいや、そういう思考やめようよ!そのやり方効率が悪いんだよ!」と今の私なら思いますが、当時の私には何かをやめるという選択肢がありませんでした。
20代ってエネルギーに満ち溢れているのです!もう向上したくてしょうがない!
「あれもこれもやりたい!自分はもっとできるはずだ!」
そんなふうに思って、色々なことに手を出してしまいます。
それが良い方向に向かえばいいですが、残念ながら、それによって疲弊し、学校に来なくなってしまう人もいます。かつての私もそうでした。
そうならないために私達は自分の力を注ぐものをある程度限定すべきだと思います。
どんなにエネルギーのある人だって、全てを完璧にこなすのは辛いです。
できる人はやればいいです。
でもできない人は自分を責めている時間がもったいないので、さっさとできないものは切り捨てましょう!
そうして残ったものに全力を注げばいい!
そうは言ってもそれは難しい。
だってなにを残して、何をやめればいいかなんてわからないですもの。
「本当の自分はもっとできる!」「もっとやりたい!」「もっとできることを増やしたい!」「自分はなんてちっぽけなんだ」
そんなふうにもどかしい気持ちでいっぱいなのです。
このもどかしさは、そんなに簡単にはなくならず、ずっと私達を追いかけてきます。
やっとやることを厳選でき、今やらなければならないこと、やりたいことに専念できるようになった今でも、私はかなりのもどかしさを抱えています。
「自分はもっとできる!」「自分がなりたい姿と自分の能力のギャップが辛い」「早くここから抜け出したい」
やっぱりもどかしさはそんなに簡単には消えてくれない。
むしろやることを厳選すると余計にもどかしさが強くなるかもしれません。
「あれもやりたい、これもやりたい。でも今はこれに集中しよう!あーでもあれだってこれだってやりたい‼︎」
やっぱりもどかしい。
だから私は全力でもどかしさを伝えることにしました。文字で。
そしたらだいぶ自分の気持ちが落ち着き、今やるべきことに集中できるようになりました。
「あれもやりたい、これもやりたい」
それだったらそれを書いてしまえばいい。
あとでやることリストに加えればいい。
そんなふうに文字にして、隣に置いていくことで、今やるべきことに専念できるのです。
そうして脳に余白を作ることによって、その余白に新しいものが入ってくるのです。
人からもらった言葉、本の内容、日々のニュース。
ちょっと今のタスクが順調にいかなくても落ち着いてやり直すことができます。
リフレッシュする時間ができます。
だから私はもどかしくてつらいけど、脳内に2.3割の余白を作って、ゆとりを持った生活をしていこうと思います。
大丈夫!いつかなりたい自分になれるよ!きっと。
脳内に革命を起こしたい‼︎
こんばんは!
今日も迷走中のコジコジです!
いつもヘラヘラしている私ですが、本当はかなーりネガティブな人間なのです。
もう本当にどうしようもないくらいネガティブです!
この会社面白そう!→忙しくて病気になるかも
インターンを始めたい→失敗して迷惑をかけるかも
好きな人にLINEしたい→迷惑かも
何かを始めようと思うと自分が落ちぶれる姿を想像してしまって、それが行き過ぎると絶望的な気持ちになってしまうのです。
例えば就職する場合と田舎でフリーアルバイターになることを考える時
就職する
病気になるかもしれない
人間関係で生き苦しくなるかもしれない
旅行に行けなくなる
迷惑をかけるかもしれない
田舎でフリーアルバイターになる
定職についている人より能力が劣る
生活できなくなる
就職しようと思っても就職先が見つからない
田舎の人間関係が大変かも
などと負の側面ばかりを考えてしまうのです。
しかし、いつもそんなふうに考えているわけではありません。
ネガティブな時はかなーりネガティブですが、ポジティブな時もかなーりポジティブなのです。
ポジティブな時の思考
就職する
この会社だったら私のやりたいことができそう!
田舎でフリーアルバイターになる
農業したり道の駅で働いたり色々なことができて楽しそう!
空いた時間でライティングやプログラミングを学びたいな。
自分で地域のことや人を紹介するwebメディアを立ち上げたいな。
その経験を生かして就職もしたいな。
新卒じゃなくても大丈夫っしょ!
人生楽しくなりそー!最高!!
っとまあ全然違う思考になるわけです。
ポジティブな時のコジコジ(以後ポジティブコジコジ)でも就職に関してはあまりプラスの考えが浮かんでこなかったのでやはり今は就職するのをやめておきましょう!
で、ここで問題となるのが田舎でフリーアルバイターになると宣言しているコジコジがその道に対してふと不安になる時があることです。
今はポジティブコジコジなので、どうしてそんなふうに考えていたのかよくわかりません。
だって仕事探しのサポートしてくれる人もいて、滞在場所もあって生活の目途が立っているんですもの。
しかーし、ネガティブコジコジが心配しているのはおそらく、金銭的なことではなく、「就職しなかった」ということで下がる自分の価値なのです。
私と同じ年の友人はもう就職していて、私と同じく一年休学していた人々もすでに自分の道を決めています。
私も自分らしい選択をしたとは言えますが、内定をもらえなかったことは事実です。
そこで私がはまる思考のサイクルは、「あの時あの企業の説明会に行ってれば」とか「あの企業の面接で御社が第一希望ですって言っておけば良かったな」「企業の探し方をもう少し工夫すれば良かったなぁ」などとどーでも良い後悔を繰り返すのです。
ポジティブコジコジからしたら「就職したくなかったんじゃないんかーい」って感じなのですが、ネガティブコジコジは自分の過去の行動の全てが気に食わないのです。
大学に入ったばかりの時のこととか高校生の時のこととかもう全てが嫌なのです。
だから未来に希望が持てず、今の自分も嫌なのです。
先週の木曜日はネガティブコジコジが脳内を占領し、絶望に打ちひしがれていましたが、今日はとても楽しい気持ちです。
ネガティブな時は本当にかなり危険なところまで落ちてしまいますが、ポジティブな時は楽しくて楽しくてしょうがない。
未来にも希望があふれている。
そんなふうに思います。
だからあれもやりたいこれもやりたい。
多少寝不足でも大丈夫だし、多少嫌なことがあってもへらへらしてる。
でもまたネガティブコジコジがやってきて一気に絶望的な気分になってしまいます。
そうなると物事が良い方向に向かっていても、とにかく悪い方向にしか考えられなくなります。
結構これには困っていて、テンションが高い時には本当に意欲的で、饒舌になるし、質問もたくさんします。
一方で、落ちた時には、自分の存在自体が恥ずかしい。
そんな感じです。
これには時に他人も困惑させてしまうこともあると思うし、自分でもだいぶ混乱しています。
しかし、最近ではそんな自分とうまく付き合えるようになって、感情も安定してきました。
それでも時々ひどい絶望感に襲われるので、このままずっと上がったり下がったりなのかと思うと困ったものだと思います。
なんだか最初に書きたかったことと話題が逸れてしまいました。
最初に書こうと思っていたことはネガティブ思考をどのようにポジティブに変換させるかだったのに気がついたら自分の今の状況をカミングアウトしていました。
うーん。なんとか解決できればいいのですが。
とりあえず今日はこの辺で。
とまらない迷走 これから我々はどう生きるのか
どーもどーも今日も迷走中のコジコジです!
私はこの一年間ずっと、「一つの会社しか選べないなんて嫌だ。」「場所に縛られず生きていきたい」と思いながら生活してきました。
そんな私はこの一年間の過ごし方を完全に間違えました。
そういう思いをずっと持っていたのなら、プログラミングとかライティングの勉強をすれば良かったですよね。
場所にとらわれない働き方とか複数の仕事で生計を立てている人に話を聞くこともするべきでした。
しかし、私がしていたことは、ひたすら人に意見を求めることと、自分が所属する会社を探すことでした。
人に意見を求めると、「場所にとらわれない生き方ができるのはほんの一握りの人しかできないから無理だ」とか「まずは安定した生活を手に入れるべきだよ。病気になったらどうするの?」「仕事はそこそこにして休みの日のために生きる方がいいよ」などの意見を聞き、「自分の考え方がおかしいのか。世の中はそんなに甘くないのか。じゃあまずは就職先を決めなくちゃ。うぉ~~~~~」みたいになってしまい、自分の本当の思いと自分の行動が合致せず、大変苦しい思いをしました。
そして、パニック障害が再発し、、、、
「死んじゃうんじゃないか」という恐怖に襲われる日々が続きました(笑)
↑
(高校の時に発症し、大学生になってからはほとんど収まっていたのですが。)
好きだったコーヒーも飲めなくなりました。
どうやらコーヒーはパニックを誘発するようで、会社説明会でコーヒーを飲んだら死にそうになりました(笑)
(私は、全力で死への恐怖と格闘していましたが、身体には何の異常もないし、アレルギーでもないので実際には死にません。)
その会社はコーヒーや紅茶を扱う商社だったので、優雅なティータイムが好きな私にとって、放浪したいという思いを除けばかなり志望度が高い企業でした。
でも、説明会で本気で苦しみだしてかなりやばい感じだったので、恥ずかしくてエントリーシートの提出はやめました。
ここで私のこの一年間の思考を整理します。
希望する働き方
どこでも仕事ができる
複数の会社に属す、または組織に属さない
就職するとしたら
食べることと海外が好きだから食品商社?
↓
国際コミュニケーション学科のくせに英語が大してできないから恥ずかしい
↓
英語を使う会社はやめよう
エントリーしたところで英語選考じゃない人でも英語ができる人なんてごまんといるかた面接でアピールできないからやめよう。
↓
あー、集団面接とかしても私選ばれなくない?
うぁー無理。面接とか無理!
↓
集団面接は受けないことに!
SPIの勉強をしていなかったのでwebテストで落とされる。 がーん
↓
SPI無しの個人面接を受けてみる
自分のこれまでの経験と自分の考えを伝えられた。
いい感じ
選考通ったー
面接大丈夫だー。
二次選考で志望度を聞かれる。他と弊社とどっちがいいのかと聞かれて正直に答えてしまう。
落とされる。
↓
他の会社のグループディスカッションを受けてみる。
グループディスカッション楽しい!
受かる。
4次選考で、全然関係のない会社なのに地域活性化がやりたいと書いて落とされる。
ばか
↓
様々な地域と関われるおもしろそうな会社を見つけた!しかもプライベートで地域を訪問した時に、補助金が出るらしい。
最高じゃん!
私「この会社行きたい」
母「従業員数少なすぎて危なくない?」
口コミを見てみる私。口コミがやばい。
説明会行くのやめるか。←「行けよ、ばか」
結局人の意見に引っ張られる私
…
とまあ就活中はひたすら自分に自信がなく、覚悟も決められず、人の意見に惑わされてばかりでした。
で、今の私から当時の私に言いたいのは、「行動が自分の軸と合ってないんだよ!」
「場所にとらわれず働きたいんじゃなかったのかよ。」
「一つの会社で働きたくないんじゃなかったのかよ!」
「就職するならそれを見据えて会社を選べよ。ばか」
そして一年前と何の進歩のない自分に猛烈にいら立っている今の自分がいます。
結局この一年間私の思考はふらふらふらふらと変わり、できるようになったことなど何もない。
まあ自己嫌悪に陥ったところで過去は変えられないので未来について考えましょう!
私の「場所にとらわれずに働きたい」「一つの会社しか選べないなんて嫌だ」という私の思考は本当におかしいのでしょうか。
いや、おかしくない。
むしろ今そういう働き方に世の中は変化しているんだよ!
安定とかないからまじで!
急速に変化しているこの時代に、すごい勢いで人間の仕事が減っていく時代に、一つの場所に留まろうとしているほうが危険でしょ!
劇的に社会が変化していく今、社会に出ていく私たちが何を選択すれば生き残っていけるのかなんてわからない。
選択肢が非常に多く、恵まれた私たちが何で生計を立てていくのかを決めるのは容易でない。
だからこれから社会に出る私達世代は、これまでに社会に出ていった先輩よりもずっと迷っているのだと思う。
そんな私達が迷走から抜け出すためには、もっと好奇心を持ってやりたいことをやり、情報を集め、経験を積むことだと思う。
しかし、そんな時に私達が考えてしまうのは、「やりたいことばかりやってていいのか。」「勉強しなきゃ」「みんなスーツを着てリクナビ、マイナビ使って就活しているからそうした方がいいかも」
↑
「ちょっと待った!
座って知識詰め込んだだけじゃ使えないから!
みんなって誰だよ(笑)」
自分が見ている世界って本当に狭くて、一度思い込んだらなかなかそこから抜け出せない。
自分が本来考えていたことも、人に反対されればそういう思いを持っていたことすら忘れてしまうこともある。
自分の考えと他人の意見が一致せず、自分で自分を批判し始めることもある。
就活中の私は本当に何も見えなくなってしまって、自分が行きたい道の人に意見を聞くとか、とにかく自分がやりたいことを突き詰めるなんてことは全くせず、「やりたいことをやっている場合じゃない。皆の流れから乗り遅れないようにとにかくそっちに行こう」
そんなことをやっているうちに何の能力も身につかず、就活の交通費で大金を持っていかれ、やりたいことができなかったもやもや感で今も後悔の念に駆られております。
田舎でフリーアルバイターになると宣言している私ですが、いくつかの仕事を渡り歩きながら生活するのもいいけれど、自分の専門スキルがあって、その上でそういう働きをした方が生き残っていける可能性は確実に上がるわけで、何の能力もない無力な私がそういう決断をしたところでお先真っ暗なのかもしれません。
まーだ迷ってるんかい!と思われるかもしれないですが、迷ってはいないです。
場所にとらわれない働き方ができるようなスキルを身につけた上で、自然と共に四季に合わせて色々な仕事をしながら生活をしていきたいです。
もう23歳。もうすぐ卒業。
私と同い年の人はもうすぐ就職して2年目を迎えます。
私は、なかなか大人になれないモラトリアム人間。
ゴールに向かってまっすぐ走ることができず、寄り道してばかり。
後悔と自分に対するいら立ちは半端じゃない。
存在していることが恥ずかしいわ!
でもこれからも生きていかなければならない。
何度後悔しても、何度出口がわからなくなっても進むしかない。
自分のばかやろう!しっかりせえ!
とりあえず、人の意見や行動に左右されず、自分の進みたい道を追求しなさい。
ただただ自分への戒めとストレス解消に長々と書いた文章でした。
おしまい