コジコジのモラトリアム日誌

私はいつだって迷ってばかりだけど、遠回りしたからこそ見えた景色がありました。このブログはそんな私の成長記録です。

私が考える自由とは

こんにちは。コジコジです!

私は何かに縛られるのが大嫌いで、どうやったら自由に生きていけるのだろうかということをずっと考えてきました。

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自由とは何か

 4つの自由

①精神的な自由

②時間の自由

③肉体的な自由

④経済的な自由

 

今までの私は②と③を奪われるのを極度に恐れていました。

理由は高校生時代に部活、大学入学後にアルバイト、学生団体、授業の課題などで自由に使える時間大幅に減り、行動が制限されたことでした。

 

高校時代には、どうにか勉強時間を確保しようといつも学校からダッシュで帰って、すぐに勉強していたのですが、それでも全然勉強量が足りず、常に気を張っている状態だったために体調を崩し、結果的に退部、受験にも失敗しました。

私は中学生の時に本が大好きだったので、本を読む時間を確保できないこともとても辛かったです。

 

自由に使える時間が多くなると期待していた大学は、アルバイトに追われ、学生団体に追われ、必修の課題に追われ、睡眠時間が少なくなり、精神バランスを崩しました。

それから私は組織に所属することを極度に嫌うようになり、アルバイトも派遣、長期プロジェクトには参加せず、人と何かを一緒にするのも一カ月が限度だと考えていました。

 

就活を考え出す時期になっても「就職すると自由がなくなる」と思い、一年間はWWOOFで色々な農家を周るか集落でインターンをしたいと思っていました。

しかし、その旨を親に伝えると猛反対され、しぶしぶ就活を始めました。

その中で行きたいと思える企業もあったのですが、自分の気持ちよりも親の反応の方が気になり、なかなか決断することができませんでした。(実際何度も口論になりました。)

 


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そして吹っ切れた私は田舎でフリーアルバイターになることを決意しました。

 

gap-year.hatenablog.com

それでは、この選択をすることによって私は、時間的、肉体的自由を手にすることができるのでしょうか?

答えはノーです!

 

田舎でフリーアルバイターになるとすると、たとえ生活コストは低くても、時給も低く、多くの時間を労働に費やさなければなりません。

また、人間関係が濃密なため、自分の時間が削られそうです。

つまり時間的、肉体的自由のために田舎でフリーアルバイターになるのは、適切ではないと言えます。

 

しかし、私が田舎暮らしをしたい理由として、自然と共に暮らしたい、農業がしたい、地域の人と交流したい、都会にはないチャンスをつかみたい、まずはいくつかの仕事を組み合わせて生活することで全体像が見渡したいなどの理由もあるので、そちらを重視するならば良い選択だと言えるかもしれません。

正社員は自由ではないのか

自由を求めるあまり、就職を極度に恐れる私ですが、正社員になると本当に②と③の自由が奪われるのでしょうか?

私はもしかすると定職についている人の方が時間的、肉体的な自由があるのではないかと考えました。

 

というのも週休二日制の企業が多いし、有休もとれます。

守られているかどうかは別として、労働の基準も定められています。

保険だって会社の補助があるし、月収も安定しています。

 

 

このように考えると、一見縛られているように見える正社員は制度上守られた上で、ある程度わりきれば自由と言えるのかもしれません。

 

私が本当に求めているのは精神的自由だった!

このある程度わりきればというところがポイントな気がします。

私の高校時代、大学生活になくなってしまった自由についてもう一度考えてみたいと思います。

この時の私が本当に欲しかったのは、本当に肉体的、時間的な自由だったのでしょうか?

今考えると、当時私が本当に求めていたのは精神的自由だったのではないかと思います。

 

高校時代の私は、「ある程度良い大学に行かなければお先真っ暗」、「部活で落ちこぼれている自分はだめだ」などと自分で自分を縛っているところがあって、たとえ物理的自由が手に入ったところで精神的自由がなければ、苦しみは軽減されないと感じました。

 

大学生活も同様で、アルバイトはシフトを減らしてもらえば良かったし、学生団体は自分で何でもやろうとしてしまうのがいけなかったし、課題は楽しんでやろうとすれば苦痛ではなかったはずです。

 

問題なのはシフトを減らしたいと言えない私、人に仕事を頼めない私。

 

つまり、調整できる範囲内で、考え方を少し変えれば、精神的に自由になれ、物理的な自由も手に入れられると言えます。

 

 

みんなが憧れるフリーランス!自由からは程遠い?

「スーツ―を脱いで自由に!」みたいなフリーランスへ誘導するフレーズがよくあると思うのですが、フリーランスって実は自由ではないのではないかと思います。

 

場所や時間を選ばずに仕事をできるという点では自由だと言えますが、その分正月でもお盆でも、夜中でもいつでも仕事をしようと思えばできてしまい、仕事と自由時間の境目がなくなると思います。

それを楽しめる人にとっては良いと思うのですが、うまく気持ちを切り替えられない人にとっては、常に緊張状態が続き、ストレスが溜まってしまうかもしれません。

 

また、経済的に不安定なことも精神的自由を阻害するかもしれません。

旅をしながらライターとして稼ぐ人も、一見好きなことで自由に働けているように見えますが、常に執筆のプレッシャーや金銭的な不安に耐えながら大好きな旅をしているのかもしれません。

 

それを考えると、サラリーマンとして安定した給料を得ながら休みの日に旅に出る方が真の自由な時間になるのかもしれません。

 

安定した生活ができることで生まれる自由がある?

私が最近思うのは生活が安定してこそ得られる自由もあるのではないかということです。

お金の心配をしなくてよければ、空いた時間に自分への投資をしたり、趣味や友達との時間に費やし、心満たされる日々を送れるかもしれません。

一見縛られているように見えるサラリーマンだけど、生活の安定を保障された上で、空いた時間に好きなことができるのもやっぱりサラリーマンなのかなと思います。

サラリーマンだろうがフリーランスだろうか旅人だろうが、結局は自分の心をどれだけ開放できるかが大事なのだと思います

でもそれが本当に難しい!

 

今私が最も欲しいのは精神的自由!そのために必要なのは安定した生活!?

 

社会のことを何も知らないモラトリアム人間が社会について書いてしまいました。

ご意見、経験談等ございましたらコメントに書いて頂けると幸いです。

※お手柔らかにお願いします。

 

次回は「私にとっての幸福」について書きたいと思います。

 

 

そろそろブログのタイトルを変えようかな。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

ではまた~